宮城)仙台の町名に残る「林子平」 ゆかりの地を訪ねた

 空欄を埋めよ。「細かに思へば、江戸の(A)より(B)・(C)まで境なしの水路なり」。江戸時代の思想家林子平(しへい、1738~93年)が1791(寛政3)年に刊行した「海国兵談」の一節。その名を初めて知ったのは大学入試の受験勉強だった。 解答は(A)日本橋、(B)唐、(C)阿蘭陀(おらんだ)。取材で仙台市役所と県庁を行き来する日々、間にある子平像に行き会った。20年ぶりに目にした名に浪人時代の予備校の講義が浮かんだ。 「隅田川の水はテムズ川に通じる。江戸と西洋は海でつながっている」。海に囲まれているから鎖国が安全。お上の批判はタブー。当時の二つの常識にあらがってまで海防の必要性を指摘したほど群を抜く先見性を持つ子平の危惧は1792年にロシアのラクスマンが通商を求めて根室に来たことや黒船来航で現実になった。ただ、恥ずかしながら仙台の人とはつゆ知らず。詰め込み教育に疑問を感じつつ、ゆかりの地を訪ねた。 子平像から北西に3キロ弱、墓…