「桑都」に息づく伝統と創造 八王子

 東京都八王子市はかつて「桑都(そうと)」と呼ばれた。養蚕や絹織物づくりが盛んで、生糸や絹織物の集積地でもあったからだ。鑓水(やりみず)地区の市の施設「絹の道資料館」がそんな歴史を伝える。近くの1.5キロの山道は市の史跡「絹の道」。幕末から明治時代半ばにかけて横浜港に生糸を運んだ経路の一つとされる。      ◇  今月10日、八王子織物工業組合が、美術や工芸を学ぶ若者を対象に募集した第4回ネクタイデザインコンペの表彰式を市内の商業施設で開いた。今年のテーマは「英国」。大学生や専門学校生、そして1887(明治20)年設立の八王子織物染色講習所の流れをくむ都立八王子桑志(そうし)高校の生徒らから、200点超の応募があった。 入選18点中6点が桑志高校の生徒。大賞に次ぐ八王子市長賞に3年生の吉田レイナさん(17)が選ばれた。同校の市長賞受賞は初めてだ。吉田さんは「高校生活の最後、頑張ってきた証しに」と応募した。ステッキを持った英国紳士をモチーフに、懐中時計やパイプをあしらったデザインを考えた。「市長賞を取れるなんて思ってなくて、感動しています」。卒業後は専門学校に進みデザインを学ぶつもりだ。 八王子の織物業界は、絹を使った着物地の生産で栄えた。着物を身にまとう人が減り、今はネクタイやマフラーといった洋装、雑貨製品が軸だ。若い感性を採り入れて活性化につなげることが課題になっている。      ◇  熱意は大人も負けていない。  北野町の成和ネクタイ研究所は地元の有力メーカー。千代田区にある親会社、成和の和田匡生社長(60)によると、年間十数万本のネクタイを国内市場に送り出している。ただ、和田さんが理事長を務める東京ネクタイ協同組合によれば、クールビズが始まって10年余りで国内のネクタイの売り上げは半減した。和田さんは「よくここで踏みとどまった」と話す。 和田さんは、ネクタイには、着ける人の個性が出ると考える。猛暑の夏でも着用しようというのではなく、状況に応じた使い分けを提案し、需要につなげられないかと策を練っている。「ささやかな抵抗」と謙遜しつつ、「クールビズに代わる新しい言葉を来年にも打ち出したい」と意欲的だ。      ◇  1995年にできた多摩シルクライフ21研究会は、市内の養蚕農家や製糸、染色、織物の作家ら多摩地方の人たちを中心とした約40人のグループだ。国産生糸にこだわり、伝統を継承し、市民に伝えることを活動の柱にしている。 先月、養蚕農家に10人ほどのメンバーが集まり、繭を業者に送って糸にしてもらう選別作業をした。相模原市の古川紀子さん(39)は織物教室で紹介されて会員になった。昨年、勤めを辞め、今年は自宅や八王子で養蚕に没頭した。生糸を使った創作にも取り組む。養蚕で生活していくのは簡単ではないが、「カイコと絹製品の魅力を人々に伝えたい」という。 成和ネクタイ研究所が加盟する八王子織物工業組合のショールーム「ベネック」が八幡町にある。ネクタイだけでなく、マフラーや和装製品が並ぶ。何度か訪ねた。転勤する友人の活躍を願ってしま柄のネクタイを選んで贈った。自分まで改まった気持ちになった。 (佐藤純)       ◇  ぶらりふらり八王子編はこれで終わります。次回は吉祥寺編。