大阪)戦争被害考える集い 孤児が体験を語る 東住吉

 太平洋戦争の開戦(1941年12月8日)から77年になるのを前に、戦争被害について考える「平和の集い」が6日夜、大阪市東住吉区で開かれた。終戦してからも苦難が続いた戦争孤児をテーマに、空襲で両親ら家族9人を失った吉田栄子(はえこ)さん(84)=田尻町=が体験を語った。 45年3月13日深夜の大阪大空襲では、約4千人の死者が出た。国民学校4年生だった吉田さんは疎開していたが、大阪・ミナミにあった自宅に住んでいた両親、きょうだい3人、叔父家族4人が犠牲になった。疎開先から戻ると家は焼け落ち、遺骨も拾えなかった。「9人死んで、ひとかけらのお骨もないのが悔しい」。戦後は親戚の家を転々とした。「いつもおじさん、おばさんの顔色を見て、家事を手伝うことが頭から離れなかった」。心が休まらなかった少女時代を振り返った。 集いは、空襲被災者が国に謝罪と賠償を求めた大阪空襲訴訟=2008年提訴、14年に原告敗訴が確定=の元原告らでつくる「大阪空襲訴訟を伝える会」が主催した。戦争孤児について研究している立命館宇治中・高=京都府=の本庄豊教諭(64)が基調講演。「無謀な戦争の帰結として戦争孤児が生まれた。現在の子どもが当事者性をもって戦争を受け止めるためにも戦争孤児を知ることが必要だ」などと呼びかけた。(大隈崇)